石川です。
たまに聞く言葉、「努力は必ず報われる」本当にそうなのだろうか?
今回はコレについて考えてみます。
よく優勝者インタビューとかで「今までの努力が報われたんだと思います」とか、
練習中に「努力は必ず報われるんだ!」と言い聞かせてハードなトレーニングをしたり…
まあ、間違っていないけど全員に当てはまるとも思えない、かな。
まず練習量、自分で精一杯やったと思っても優勝者の半分かもしれない。
単純に時間ではなく練習内容、効率が違うかもしれない。
なので最大努力量の比較が難しいです。
そもそも努力したってあとから思う(気づく)ことのような気がします。
あー、今思えばあのとき努力してたんだなーって感じ。
自分で過去を振り返ると成績がでていたときはめっちゃ練習していました。
(今もしています、が今できる精一杯程度、笑)
当時はそれを努力とも思わず愚直に練習していただけ。
多分結果を残した人の多くはこのパターンだと思うな。
ハタから見ればすっごい努力でも本人にしたら普通のこと。
それを続けたから結果がでただけ。
確かなことは、努力したから結果がでる、とは言い切れないが、
結果をだした人は必ず努力をしている、ということ。
言いかえれば「努力」は「結果」を得るための最低限の権利で、
「努力」をしていない人はその「権利」さえない、ということ。
報われるために努力、となるとなにか違和感がある(ダメではないけど)
結果が先にあってその過程が後回しな気がするからかな。
まあ「報われた」という基準もどこなのか?
クラスで1番、県で1番、日本で1番、世界で1番、どこ?コレも個人によって違うでしょうね。
話しがちょっと変わりますが、「失敗」もあきらめない限り「本当の失敗」ではありません。
世間でいう「失敗」を「勉強」と考えられる人は成功する人だと思います。
さて、「報われない努力」は存在するかもしれませんが、「ムダな努力」は存在しないと思います。
いつも言っていますが「結果より過程が大切」です。
努力すること自体が大切で、結果がでるかは別問題と言ってもいい。
結果がでたときに「まあ努力したからな」となりますね。
近い言葉「努力は必ず裏切らない」こっちのほうがしっくりくるかな。
個人的には「努力にムダはない」が好きです。
一見間違った努力をしていたとしても、一生懸命やったことならいつかどこかで必ず役に立つはずです。
そう思うだけで頑張れる、という一面もあるのですが(笑)
ダンスの努力にもムダはないですよ、たとえ間違っていたとしてもね。
それでは、また。。。